第2284回例会

第2284回例会(2023年2月27日)

「新会員卓話」
吉田 美穂 会員

 
私は、昨年の10月に札幌北ロータリークラブに入会させていただきました 吉田美穂と申します。初めての卓話で、自己紹介のようになってしまいますが、最後までどうぞよろしくお願いいたします。
私は十勝の池田町出身です。とても寒さの厳しい地域で、冬はスケートが盛んでした。私も小学校から高校まで、スピードスケートをしておりました。小・中学は、冬のみの練習でしたが、高校では、陸上部より走っていると断言できるほど、毎日毎日、陸上のトレーニングが続きます。また、自宅から高校まで、片道15㎞を毎日、自転車で通学していました。自転車は、タイヤが細くスピードの出るタイプで、ヘルメットが必要なくらい危険なスピードが出ます。私よりも8㎞遠方から通う双子の先輩、同級生と合流し、4人で先頭交代をしながら走り続けます。3年間のトレーニングで、すっかり筋骨隆々になり、男子高生と間違われることもありました。3年間精一杯練習しましたが、自分の力に限界も感じました。自分の心と相談すると、「(スケートを辞めて)普通の女子大生になりたい!」でした。晴れて女子大生となり、札幌での生活がスタートしました。
最初の1年は、予定通り「女子大生」を満喫して過ごしましたが、2年目からは「就活」が始まり生きた心地のしない日々を過ごします。何社も受けた中の1社「ANA」に内定がきまり、本当に嬉しかったことを覚えております。
ANAでは、予約センターに3年、総務に6年、営業(法人セールス)12年、出向(北海道観光振興機構)1年。3→6→12→24?出向先に24年となるとサラリーマン生活はここで終了かと思いきや、なんと「リーマンショック」の影響でリストラ計画が発表されました。2010年1月に詳細が公開され、①東京地区へ転勤②北海道の販売会社へ転籍③早期退職という内容でした。早期退職の条件が未だかつてない好条件で、私の心はザワつき3月末で退職いたしました。大好きな会社でしたので、このように退職することになり、私自身が1番驚きました。
退職後は、以前から好きだった美容の仕事をすることを決意し、尊敬する美容家の先駆者「佐伯チズさん」の元で4年間勉強しました。10月にスクールに入学し、半年後に札幌に戻ってエステサロンを開業予定でしたが、学ぶうちに半年では足りないと感じていたところに、ちょうど採用募集がありました。
美容業界は、20~30代が中心ですので、当時43歳の私には難しい挑戦でしたが何とか潜り込むことができました。最初の1年は、直営スクールの講師、その後、銀座直営サロン勤務を経て約4年後に札幌に戻ります。
2015年3月 札幌に「佐伯式サロン ヴィーナスムーン」を開業しました。この頃、大阪のテレビ番組「ちちんぷいぷい」に出演していた佐伯先生が、HBCの方と偶然会い「札幌に私の弟子がいるので応援してあげたい!是非、番組コメンテーターで出させて!」と自ら営業して下さり、札幌の番組「今日ドキッ!」に、定期的に出演することが決まりました。札幌で講演会を企画したときにも快く引き受けていただきました。本当に感謝しています。佐伯先生の協力もあり、少しずつお客様が増えていきました。
2018年6月 奥定山渓温泉 佳松御苑内「Spa&Treatment 美湯手」開業。こちらは、ANA時代に営業担当していたホテルのオーナーの方からのお声がけが始まりでした。ホテルを建替えることになり、エステサロンを入れたいが、導線などわかる人がいないので手伝ってくれない?とお話をいただき、設計のお手伝いをしているうちに、エステサロンとして入らせていただくことになりました。いつも、周りの方に助けていただいているな~、と本当にありがたい気持ちです。
そのほかにも、佐伯チズ先生の来道にあわせて、「佐伯式美肌レッスン」や、「メイクレッスン」を開催、イベント・講演などの講師としても活動しておりました。2020年春~ コロナ禍になり、対面の講習・イベント開催が難しくなりましたので、オンライン講座やイベント講師として活動をはじめました。
時を同じくして、佐伯チズ先生が「ALS」で2020年6月に亡くなられました。3月頃車いす生活になったことを知り、東京のご自宅でお会いしたのが最後となりました。「あなたは銀座のサロンをいつもきれいに掃除してくれていたわね。『清潔感』は美容の世界ではとても大事よ!あなたには、それをずっと大切にしてほしいわ」それ以降、「美は清潔感☆美容研究家 吉田美穂」として、イベント活動をさせていただいております。
振り返ると、私のKEY WORDは、「道は開ける!」であると感じます。高校卒業後、スケートを辞める時も自分の心に正直に決め、決めた後はやりたいことを思い切り満喫!就職後も、特に営業時代は、自分はサラリーマンとは思わず、お客様と一緒に、全力で楽しみながら仕事をしました。美容の仕事も、自分で決めた道なので、目標を持ち楽しみながら、あきらめずにやり遂げる!と決めて続けてきました。そうすると、自然と次の仕事が決まり進むべき方向が決まったり、大変な時には、周りの方が助けてくれたり信じた道をひたむきに追及することで、道が開けてきました。迷ったときには、自分の心に正直に決めることで覚悟も決まり、道が開いたように感じます。そして、人に恵まれていることにも、心から感謝しています。
これからの私の目標ですが、「女性が輝くためのアカデミー」設立です。

・スキンケア&メイクレッスン、講師養成
・エステティシャン養成
・道内温泉・ホテル等のエステコンサル業等
・海外進出(ドバイ予定)~日本のおもてなしで世界の女性を幸せにする

札幌で1店舗目を開業した時は、「札幌・北海道の女性」が明るく元気で輝くような活動が目標でしたが、佐伯チズ先生亡き今、教えていただいた知識や技術を少しでも多くの方に伝えて、世界中の女性が1人でも多く輝くよう「教育・共育」にも力を入れていきたいです。
最後に、会員の皆様に私が貢献できることは何かを考えました。肌がキレイになると女性は幸せな気持ちになります。メイクがキレイに仕上がると、笑顔が増えて周りの人も幸せにします。ご家庭で、ご機嫌斜めの女性がいらっしゃいましたら「スキンケア&メイクレッスン」がおすすめです。受講後は、笑顔で優しい女性になって戻られることでしょう!必要な方がいらっしゃいましたら、是非、ご連絡をお待ちしております。
最後までご清聴いただき、ありがとうございました。

 

「新会員卓話」
渡辺 亮 会員

 
 私は、昭和47年1月14日、十勝管内広尾町で生まれ、現在51歳となりました。家族は妻ひとり、息子ひとりの3人家族です。妻は私より2つ年上で、日高信用金庫に同期入社で、結婚後は専業主婦であります。息子は室蘭工業大学へ通い、進級できれば今年の4月に4年生となります。私は3人兄弟の真ん中で、兄が青森県、妹は帯広市におります。
 私は、広尾小学校、広尾中学校、広尾高校と町内では超エリートコースを進み、高校時代は野球部に所属しておりました。ご存知の方もいるかもしれませんが、広尾高校野球部は今から39年前、1984年(昭和59年)の夏の甲子園大会に出場したこともあります。甲子園出場は私が中学1年生の時ですが、その当時は人口も約1万1千人おり、広尾町出身の現相撲協会理事長八角親方(横綱「北勝海」(当時のしこ名は保志)の活躍、漁業も盛んで活気のある街でしたが、私が高校3年生の時には、人口は1,000人以上減少していました。当時の野球部員数は9人、私はキャプテンを務めていましたが、高校最後の大会となる夏の十勝支部予選の抽選会で、くじ運に恵まれ、その年甲子園に出場した帯広北高校と1回戦で対戦するという偉業を成し遂げました。試合は当然のことながら33対0という野球の試合とは思えないスコアで負けました。
 高校での学業成績は「中の中」くらいで、将来何になるのか、何をしたいのか、など、全然考えていませんでした。たまたま実家が日高信金広尾支店の隣にあり、私の部屋から信金の窓口が見え、窓口でお金を数えている女性職員がうらやましく思え、「土日祝日が休み」とういう単純な理由から「日高信金に入ろうかな?」と考えるようになりました。当時の広尾支店長は野球部先輩の父親で、以前から顔見知りだったので相談したところ、「最近、高卒は採用していないので、どこでもいいから大学へ行ってこい。」とアドバイスされました。
 高校入学時より大学進学など全く考えおらず、受験勉強もしていなかったため、どうしたらいいのか途方に暮れていましたが、9月の求人で高卒の募集があったことから、就職試験にいどみ、平成2年3月に日高信用金庫に入庫しました。その年は企業からの求人が多くありました。もし私が大学に進学していれば平成6年卒業、その時は就職氷河期であったことを考えればラッキーでした。
 平成2年3月から平成23年11月まで営業店で勤務し、平成23年12月に融資部に配属、平成31年に静内支店長を拝命、昨年8月に札幌支店長として赴任し現在に至っております。
日高信用金庫は大正10年4月に有限責任浦河信用組合として設立し、令和3年4月に創立100周年を向かえました。本店は日高東部の浦河町にあり、昨年3月末の預金残高は1,531億円、貸出金残高は888憶円、店舗数は8店舗、役職員は130名と道内信用金庫でも最も小さな信用金庫です。ちなみに、全道一預金量が多い信用金庫は北海道信用金庫で約1兆1,600億円、全国では京都中央信用金庫の5兆700億円です。
当金庫の主な営業エリアは十勝南部の広尾・大樹町から日高中部新冠町であり、札幌支店は平成19年9月にオープンし、昨年15周年を迎えております。
 地元の基幹産業は、競走馬となるサラブレッドの軽種馬生産業や、昆布・サケ漁などの漁業が中心で、近年はミニトマトやいちご生産の農業も盛
んに行なわれ、取引先にはダービー馬を輩出した牧場や知名度の高い「三石昆布」、ブランド鮭「銀聖」などの水産加工会社もあります。札幌北ロータリークラブの皆様にはぜひ日高産の商品を買って頂けるとありがたく思います。なお、競走馬の購入にご興味がありましたら、成績の保証はできませんが良い牧場を紹介します。
 私どもは地域金融機関として地域に寄り添った取り組みを念頭に実践しておりますが、新型コロナウイルス感染症拡大の経済的な影響は深刻となっており、今後においてはより一層の資金供給や経営アドバイスなど地域貢献を果せる人材育成が重要と考えています。職場での地域貢献としましては、お配りした資料をご覧いただきたいのですが、社会福祉事業や環境整備事業、青少年育成事業等、幅広い社会貢献に努めております。
 札幌支店に赴任して半年が経ちましたが、半世紀を田舎で過ごし、初の札幌暮らしで、不安な面もありますが、日高信金の経営理念にあります「地域にとって、なくてはならない信用金庫」を目指し、地域社会の持続的な発展に貢献すべく、職員全員で何事にも全力で取り組んでいきたいと考えております。

 最後になりますが、私が高校時代に目指した夢、息子に託した夢であった「甲子園出場」が、前任地の静内ロータリークラブに入会したことで叶いました。
 札幌北ロータリークラブに入会して間もないですが、これからもベストを尽くして、夢をかなえていただいたロータリークラブのために奉仕活動に励み、微力でありますが札幌北ロータリークラブ発展のために協力していきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。