第2295回

第2295回例会(2023年6月12日)

「『愛生館文庫』オープン、令和の風に乗り!」
公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団
理事長 秋山 孝二 様

 
 2019年10月に秋山財団の一室にオープンした『愛生館文庫』は、秋山家のファミリーヒストリーではなく、明治初頭・中期に立ち上げた全国的健康増進の『愛生館事業』の歴史を記録した場です。この事業創設の背景と関わったキーマン達に焦点を当てて、日本の近代における医学・薬学・公衆衛生等の黎明期を再確認する目的です。この事業の基本理念は『愛生済民』、庶民への眼差しでアジア・世界の体力向上を目指した「民間」の自主事業です。
 まずは、4人のキーマン達をご紹介します。松本順(三十六方製剤処方)、高松保郎(事業主)、川口新之丞(投資家)、初代秋山康之進(実務家)、彼らは幕末・維新の転換期を生きた人々です。
 初代陸軍軍医総監の松本順は、幕末の1850年代、長崎で行われた「第二次海軍伝習(実質的な医学伝習)」で中心的役割を果たし、オランダ人軍医のポンぺからの伝習で、集まった各藩の弟子たちに伝えることによりそれ以降の近代医学・医療の基礎を築きました。松本順の全国的健康増進事業は、司馬遼太郎の歴史小説『胡蝶の夢』にも登場し、具体的には「愛生館三十六方製剤」で衛生思想を、「衛生書」により通俗民間治療法の普及に努めました。文庫には当時の貴重な書物・資料等が約8千点が展示されています。ともすると初代軍医総監としてのみ歴史に名を刻まれがちですが、実は彼は牛乳の効用、海水浴の普及等、今では常識になっている幅広い国民の健康増進・普及において最初に井戸を掘った存在であり、『愛生済民』こそが彼のライフワークと言えるでしょう。明治24年には小樽・札幌にも滞在している写真や記録があります。私は取材で、東京都内の開業医でご親族の松本和彦先生、研究者の長崎大学医学部名誉教授・相川忠臣先生からも貴重なお話を伺うことができました。また、長崎大学医学部のロビーには、ポンぺの残した言葉が「建学の基本理念」としてレリーフになっています。
 初代秋山康之進は、千葉県佐倉の芝田家出身で秋山新八の養子となり、その秋山家一族は現在も佐倉市吉見で暮らしています。北海道はじめ全国の支部創設に尽力したばかりでなく、十勝の士幌町で「佐倉農場」の開発にも貢献していました。
 二代目康之進は、昭和初期の不況を乗り越え、北海道大学、臨床医の協力を得て「北海水産工業研究所」を設立し、医薬品の研究開発を行い、『ネオ肝精』、粉末湿布剤『デルモライツ』、座薬『ロントナール』等、自家製品の製造・販売により経営基盤を確立しました。それらのサンプルもこの文庫で展示しています。
 1893(明治26)年、東京神田の館主・高松保郎亡き後は、北海道支部長だった初代秋山康之進が自らの名前を掲げて自立し、地場企業の「秋山愛生舘」として一層北海道に貢献しました。第二次世界大戦後の1948(昭和23)年には株式会社として法人化、三代目康之進が卸業に特化し、私は1991(平成3)年6月に五代目社長に就任、1992(平成4)年には札幌証券取引所上場、5年後に東京証券取引所市場第二部上場、その後、(株)スズケンと資本・業務提携を経て合併しました。私は2002(平成14)年11月に(株)スズケンの代表取締役副社長を退任、現在北海道での営業は「愛生館営業部」となっています。
 (株)秋山愛生舘の100周年事業の一環として、それに先立つ1987(昭和62)年1月、四代目社長の秋山喜代は、「(財)秋山記念生命科学振興財団」を設立、現在、私が二代目理事長に就任して25年を経ています。『愛生済民』という理念の実現は、医薬品販売事業から更に発展し、財団の研究助成・活動助成事業として継承・進化しています。
多くの皆さまにこの『愛生館文庫』にお越し頂くことを期待しています。

(原文のまま掲載)