第2269回例会

第2269回例会(2022年9月12日)

「故 吉崎昌一先生(1931-2007)の思い出」
公益財団法人札幌市生涯学習振興財団元理事長
西村 喜憲 氏 卓話

 
 「札幌市豊平川サケ科学館」を御存じですか。南区の真駒内公園内にありますが、十数年前に老朽化した建物を巡って札幌市で存続が検討されたことがあります。結果は存続することになりましたので今も豊平川の川べりにひっそりと建っています。
この科学館がどんな経緯で作られたのか御存じでしょうか。昭和56(1981)年10月、新聞やテレビが一斉に豊平川にサケが遡上してきたことを伝え、いわゆる「サケ・フィーバー」とでも呼ぶべき興奮が全国に波及したのでした。10月5日、豊平川の堤防にたくさんの市民が詰めかけました。一匹、また一匹と堰堤を上ろうとするサケが宙を舞っていました。2年半前に市民が放流したサケが戻ってきた瞬間でした。大人たちがそれを見守り「がんばれ、がんばれ」と声援をおくり、傍らで涙を流す人もいたといいます。この感動は全国に伝えられ、サケの回帰に夢を掛ける人たちがあちこちにあらわれ、さらには諸外国でも同様の市民運動が展開されました。この運動の主体を担ったのは「さっぽろサケの会」(初代会長吉崎昌一氏)です。
 豊平川の伏流水が湧き出る北大に発する旧琴似川(サクシュコトニ川)周辺は、サケののぼる川として古くからたくさんの遺跡が存在します。北大植物園や道庁周辺も遺跡の宝庫です。しかし、戦後、真駒内にできたキャンプクロフォードからの汚水や、人口増加に伴う生活排水などで豊平川の汚染が激しく、サケは一匹も遡上しなくなったばかりでなく、渓流にすむ魚などほとんど生存できなくなってしまったのです。しかし、昭和40年代後半に入ると、札幌オリンピックの開催などにともない下水道が整備され、徐々に川は命を取り戻し始めていたのです。そこにサケの飛び跳ねる姿を夢見た吉崎昌一氏ほか数名の市民が、「さっぽろサケの会」を結成し、サケの稚魚を放流することを思いつきました。この運動を展開するため、まずは道庁水産部にかけあったそうですが、「サケは国の財産、決して観光で遡上を見せるようなものではない」とつれない返答だったそうです。管理されているサケを放流することは様々な制約があって無理、と言いながらも「豊平川にサケがのぼる姿をみたいですね」とほほ笑んだそうです。そこから一つ一つ役所を説得し、千歳川からもってきた稚魚を子どもたちや市民とともに放流することが出来たのが、昭和54年3月のことだったのです。「カムバック・サーモン運動」と名付けられたこの取りくみによって、今では、湧水が多い東橋を中心に真駒内から環状北大橋までの10kmの間でサケの自然産卵が確認されています。現在、遡上するサケの半数以上は放流した稚魚ではなく、自然産卵から生まれたものです。「カムバック・サーモン運動」は生活環境を改善し、昔のようにサケが遡上する川を取り戻した運動だと思われがちですが、そうではなく、既にサケが遡上できるまでに戻っていた豊平川に、もう一度サケを遡上させ、自然環境が復活していることを証明して見せた運動なのです。そうであるにもかかわらず環境保全の代名詞のように取り扱われ、札幌の興奮は市民とマスコミを媒介に世界を巡ったのでした。「サケについて学習するための施設を」といった声が市民の間で高まり、昭和59年(1984)10月に「札幌市豊平川さけ科学館」が開館しました。
 この市民運動の中心に、私が北海道大学に入学してすぐに出会った吉崎先生がいたのです。彼は明治大学の考古学研究室出身の文化人類学の先生でした。そして北海道で最初に旧石器文化を発見した学者です。かれが発見した白滝遺跡は黒曜石でできた石器中心の遺跡です。
 「日本に旧石器文化は存在しない」ということが戦前における学会の定説でした。これに対し、戦後すぐ、民間の考古学愛好家相沢忠洋氏が関東ローム層の中から土器をともなわない打製石器を発見し、これを専門的な見地から発掘調査を行い、旧石器遺跡(岩宿遺跡)であることを証明したのが、芹沢長介氏をリーダーとする明治大学の考古学研究室だったのです。その研究室で旧石器を見慣れていた若き吉崎氏は、確たる根拠もないまま「北海道にも旧石器遺跡は存在する」との仮説を立て、その証明に取り掛かったのです。(講義中の彼のことば)彼はさしたる苦労もしないまま、すぐに白滝遺跡を発見しました。文化財保護法によれば、出土した遺物は各教育委員会に保存されなければならず、したがって、彼は北海道の各市町村教育委員会を巡り白滝村教育委員会で旧石器を見つけたのです。その後、本格的に発掘調査が行われ、北海道初の旧石器遺跡の発見となったのです。やみくもに掘ったわけではなく、全道をくまなく歩いたわけでもない。ちょっとした目のつけどころ、合理的な思考が大きな発見につながったわけです。「カムバック・サーモン運動」もまた、浄化されていた川にサケを遡上させることによって、環境保全の大切さを、またそれが可能であることを世界に知らしめたのです。私にとって、若き頃に学んだ大きな財産でした。

 
(原文のまま掲載)