第2回クラブフォーラム

第2238回例会(2021年11月8日)

「ノビロ学園50年の歩み」
社会福祉法人 札幌療育会ノビロ学園
副園長 高木 亨 氏 卓話

コロナ禍における緊急事態宣言が解除され、全国的に新型コロナウイルスの発症者数が減少、少しずつではございますが嘗ての日常が取り戻される期待が高まってきております。しかし、まだまだ油断ができない緊張感が続いておりますことには変わりございません。
こうした折り、札幌北ロータリークラ ブの皆様におかれましては、当ノビロ学園に対しまして多額のご寄付を賜りましたことを心より厚く御礼申し上げます。本来でしたら、当法人理事長 藤本茂夫並びにノビロ学園施設長 新屋雅之が、皆様に御礼を申し上げますところではございますが公務のため欠席となりましたことを、お許し頂けますと幸いでございます。
また、今年も残しますところ 1ヵ月半といった大変お忙しい中、札幌北ロータリークラブの皆様のお集まりにお招き頂き、貴重なお時間を設けて頂きましたことにこの場をお借りし、改めまして感謝を申し上げる次第でございます。
本日は、当施設でありますノビロ学園につきまして、皆様に多少ではございますがご紹介させて頂きたいと思っております。なお、お手元には当施設の要覧をご用意させていただきましたので、参考にして頂ければと思います。

ノビロ学園は、昭和44年に札幌市の郊外(現在の清田区)に解説された知的障がいの子どもたちのための入所型の施設です。
開設当初は定員が30名で、入所する子どもたちの多くは複数の障がいを併せ持つ子どもが多く、中でもてんかんをもつ子どもが85%以上を占めておりました。
開設当初である昭和40年代は、知的障がいの子どもを取り巻く環境は差別と偏見が渦巻いており、精神薄弱、知恵遅れ、収容施設・・・などといった今では耳を疑うような言葉や文字が溢れていたと聴いております。
ノビロ学園設立の原動力となったのは、当時三菱ショールームで4回開催されていた「知恵遅れの子どもと3人の大人展」という展覧会が始まりであり、子ども達の真の姿を少しでも多くの方々に知って頂き、一人でも多く社会へ巣立たせたいという先人たちの地道に社会啓蒙を続けた情熱に、その時代の反響のうねりが大きな共感の輪として次第に拡がって参りました。
こうした中、知的障がいのほか様々な精神疾患を併せ持つ子どものために、医療と教育を2本の柱とした新しい療育施設を目指そうという、清田地区でご活躍されていた先代の病院長の熱い想いとが重なり、全面的なご協力を得てノビロ学園が誕生致しました。
札幌市内に限らず、北海道全域からてんかんの精神疾患を持った子どもを多く集め。医療と教育の関わりを重視した治療教育の取り組みのほか、集団生活の単位をより小さくする考えを取り入れ、家庭的な雰囲気に近づけようとする療育が50年前にすでにノビロ学園では始まっておりました。さらに「知恵は遅れていてもそれを補うものとして、強い意志と豊かな感情が必要」であり、職員自らが豊かな感性を磨き、その感情を移入することこそが感情教育の原点であると、先代の病院長が仰っていたお言葉の一つであると同時に、頭が良くても感情(心)が歪んでいる人間は、立派な社会人であるとは言えない。頭が弱くても豊かな感情を持っていれば、立派な社会人として通用する。だからこそ、心を開いて明るく愛情の表現ができる子どもたちを育み、喜怒哀楽を素直に表現できる豊かな感性を育んでいくための努力を、職員は決して惜しんではならないと、現代においても色褪せることのない的確な教示を50年前に既に示されておりました。
また、昭和54年の養護学校の義務化が施行されるまでの間は、障がいを持った子どもたちは学校に通学し教育を普通に受けるといった最低限の権利すら猶予、免除されている時期が長く続いていたことも周知の事実でございます。子どもたちが毎日生活するための生活空間の充実は、子どもたちの環境を整える上では重要な視点のひとつであることはもちろんですが、施設の中には、子どもの学習を保証するための教室の設置、あるいは体育館の設置など学校としての役割も必要不可欠な要素であり、家庭的な機能と学校的機能の両輪が調和することこそが、子どもたちの成長を後押しする上ではもっとも大切な視点であったのではないでしょうか。

昭和40年代から昭和60年代のおよそ20年間は、国際障がい者年の完全参加と平等といったスローガンをはじめとして、社会全体の意識または福祉行政が少しずつ具体的に変化してきた時代であり、世界的にノーマライゼーションの思想が台頭してくるなど社会福祉の大きな転換期であったとも言うことができます。
こうした時流においてノビロ学園は、偏見と差別の思想を払拭するためにも同じ人間としての尊厳を大切にし、子どもたちを世の中のより多くの方々に正しく理解していただくために、こどもたちの真の姿を紹介し、未知なる可能性を信じ医療問題、地域交流、施設の機能と役割、教育権などの様々な事案について古くから問題提起し、子どもたちにとっての本来求められる施設とは何か、を常に真摯に問い続けると同時に啓蒙、啓発活動を先駆的に実践してきた自負があります。
平成の時代に入ると、これまでの遅々とした歩みは大きく一変し、条約、制度、用語、法律等がものすごい勢いで変化を繰り返し、現在の福祉サービス全般の基礎を形作っていたといえるのではないでしょうか。

令和を迎えた現在、ノビロ学園の定員は45名のところ、施設を実際に利用している子どもは47名に上るほか、ご家庭から何らかの事情により宿泊を伴った形で施設を利用する短期入所の子どもの定員が7名、平日の学校終了後の放課後にノビロ学園で創作活動あるいは友たちとの交流などで余暇を楽しく過ごすデイサービスの子どもの定員が10名というように、子どもたちへ提供されるサービスの形態は、家庭状況、子どもの年齢、子どもの特性などに応じて多様化してきており、子どもを取り巻く環境は大きく変化してきております。
ノビロ学園で生活している殆どの子どもたちは、それぞれの子どもの状況に応じ、小学校、中学校、高校に通学しており、一般の交通機関を利用し通学している子どももいるほか、その年の状況によっては幼稚園に通うこともあります。
自立した社会生活を目標とする子どもたちは、調理の練習や金銭の管理などに必要となる計算の練習などをはじめ、将来必要となる知識や技能を身につけることも実践しており、人数的にはごく少数ですが一般の会社に就職する子どもも大勢の中にはおります。
しかしながら、現在ノビロ学園で生活している多くの子どもたちは重度の知的障がいを持っており、様々な理由により年齢の低いときから親元を離れ施設での集団生活を送っていることも事実でございます。こうしたことから、施設の中だけで生活を完結させないためにも家庭の子どもたちがごく普通に行っている買い物、散髪、外出、地域での季節的な行事などに積極的に参加するなど当たり前のことを当たり前のこととして生活の中に取り入れ、一人ひとりの子どもたちの体験の場を拡げる工夫も行っております。
また、ノビロ学園が地域の中において福祉的な機関として機能していくことは、社会資源の一つとして社会福祉法人が期待される大きな役割であることはもちろんのことであり、地域に根付いた中で相談機能、具体的な支援機能、調整機能などの細やかなサービス機能を幅広く還元していくことも重要な使命であると考えております。

子どもたちへの支援が施設の力だけで全てが達成できるものとは決して思ってはおりません。子どもたちを支え、子どもたちを成長させるものは、教育、行政、保護者、地域などの多くの方々の連携であると同時に子どもたちへ向けられた共通した想いに他なりません。多くの子どもたちにとって明るく楽しい生活、自主性が尊重される生活 、働く喜びを味わえる生活が前提となり、将来社会自立を目指せる社会、あるいは地域社会の中で多くの方々と関わり、その中から共に生きていける社会。このような未来を子どもたちに拡げるためにも、ノビロ学園はこれからも一人ひとりの子どもたちに誠実に向き合い、子どもたちを応援し続ける施設でありたいと強く考えております。
最後になりますが、札幌北ロータリークラブの皆様にお願いがございます。子どもたちが抱えている様々な困難を、子ども達一人ひとりの素晴らしい個性であることを、真の姿として理解して下さい。その上で ほんの少しの心遣いと、ほんの少しの手を差し伸べて下さい。このことにより、子どもたちは勇気と自信を持ち、活き活きとして社会の中で生活していくことができます。子どもたちの明るい笑顔と自信に満ちた笑顔こそが、激動する令和の時代を支える礎となることと思います。

ここにお集まりの札幌北ロータリークラブの皆様のご健勝とご多幸を心よりご記念申し上げまして、ノビロ学園の紹介を終わらせていただきます。
本日は大変拙い話ではございましたが、最後までご清聴ありがとうございました。

(原文のまま掲載)