第2176回例会

第2176回例会(2019年6月10日)

「私の職業観。あきらめない人生」
赤木道子会員

私は昭和44年、帯広市に生まれました。
父は西帯広工業団地で鉄工場を営み、母は専業主婦。姉二人と兄、私の4人兄弟です。
工場が軌道に乗りかかったところで父が過労死。私が1歳半の時で父の記憶はありません。
突然4人の子供を遺され手に職のない母は途方にくれます。工場の経営を自分の弟に譲り、近所のうどん屋のパートに。
貧しくても兄弟全員いつも明るく優しく素直な性格が救いでした。誰一人道を外すことなく市内の公立高校に進学。母を一安心させました。
生活苦は暫く続きましたが母は調理師免許を取得後、市役所の正職員に採用され生活が安定していきます。
そんな母の影響もあり私は女性でも自立が必須であるという職業観が芽生えていきます。
兄弟たちが順に高卒で地元企業に就職し、いざ私の番に。当時東京の大学に行く以外意味がないと思っていました。
母は「せめて札幌の大学にしては?」と。実は我が家で一番優秀だった二番目の姉が下に弟、妹がいるからと大学進学を諦めていました。
本当に申し訳ない事をしたと思います。
私の受験期に叔父から「自衛隊に入れば働きながら大学に通える制度がある」と聞き、それが一番合理的だと考えました。
高校卒業の昭和63年、航空自衛隊に入隊。しかし新入隊員は山ほどの教育訓練、専門職種の勉強、配属先でのOJTと長い期間を費やします。
大学進学の話はどんどん遠のきましたが、私はあきらめず受験勉強を続けます。
そして実質2浪で大学に入学。二十歳の時。自衛官と大学生の両立が始まります。
大学では英米文学科を専攻。職場で勤務調整をしてもらい休まず通いました。そしていよいよ就職活動。
バブル崩壊後と重なり就職難でした。私は3社から内定を貰い、そのうち長く働けてやりがいのある仕事を選び地元の新聞社にUターン就職します。
平成6年のことです。配属先のケーブルテレビ局報道部では23年間で3千人以上にインタビュー。
この取材経験は今でも宝物となっています。
私の仕事に理解のある夫と結婚。双子の娘も授かります。仕事と子育てを両立する毎日でしたが、平成23年に夫をガンで亡くします。
夫は48歳。2年半の闘病生活でした。深い悲しみとともに娘たちの人生に責任を感じました。母子家庭で育った私が、娘たちも同じく片親にしてしまったと!
私は3年前にファイナンシャルプランナーの国家資格を得て現在の仕事に就きました。
私の経験からお金が無いから夢をあきらめるというのはとても残念な話です。私ができる事はみなさんの夢の実現のお手伝い、あきらめない人生を応援することです!これがロータリーの精神にも通じる事なのかなと思っています。
今日はこのような貴重なお時間をいただきありがとうございました。
ご清聴ありがとうございます。